最近は雨降りが多いので、そういう時はバスで通勤しています。自転車に乗れないのは残念ですが、バスに乗っている間は本を読めるのが良いところです。
そういうわけで今日は最近読んだ「感染地図」と言う本を紹介します。これは19世紀にイギリスで大流行したコレラの発生源発見を巡る歴史を追ったドキュメンタリーです。
19世紀のロンドンでは人々が生活の糧を求めて街へと移り住み急速に都市化が進んでいました。しかしあまりに急速な都市化にインフラの整備が追いつかず、下水は川に垂れ流しの最悪の衛生状態でした。そんなロンドンではたびたびコレラの流行に見舞われていました。そして1854年8月、ブロードストリートで大流行が発生します。
コレラがコレラ菌の感染によって引き起こされ、感染者の糞便を介して飲料水から伝搬すると言うことは今でこそ常識ですが、19世紀の時点ではコレラ菌も未発見で、公衆衛生学はまだ産声を上げたばかりの状態です。次々とブロードストリートの人々が病に倒れる中、コレラ菌の発見に先立つこと30年、流行地で働く医師スノーと、教会副牧師のホワイトヘッドの努力によりついに感染経路が明らかとなります。
当時の医学会では病気の原因として空気が重要とする瘴気説が有力でした。淀んだ空気こそ病気の原因と言う訳ですね。スノー医師は以前から感染者の分布から考えて、コレラは飲料水で媒介されるとする飲料水媒介説を唱えていましたが、瘴気説の支持は強固で学会の大勢を占めるには至っていませんでした。1854年の大流行の際に彼は感染者一人一人を丹念に調べ、感染者が特定の井戸から水を汲んでいたことを突き止めます。この時、調査に協力したのが教区副牧師のホワイトヘッドです。彼は地元の副牧師と言う立場を生かした情報網で、スノーの調査を補完していきます。そして遂に今回の大流行の原因となった最初の感染者を特定することに成功します。そこで井戸水が糞便で汚染されている証拠を発見するに及び、最終的に飲料水媒介説を医学会に承認させることになります。
飲料水媒介説を唱える時に最大の障害になるのが直接の証拠を上げられないことです。顕微鏡はあったもののコレラ菌は未だ発見されていない時代なので、水が汚染源である直接の証拠を示すには、汚染された水を飲ませた人はコレラを発症し、飲ませなかった人は発症しないことを確認する必要があります。しかし人体実験をやるわけにはいかないので、感染者の飲水行動を丹念に追っていくしかありません。ここでスノーとホワイトヘッドが流行中心地の地元民だったことが強みとなります。
当時、医師の多くはコレラ流行地に実際に赴くことはほとんどありません。彼らは多く上流階級の人間であるのに対して、コレラは社会的に下層の人々が多く済む衛生状態の悪い地域で流行することが多いからです。スノーは父親を職人に持つ元々からの地元民なので、1854年には流行のまさに中心地で調査活動を行うことが出来ました。更にホワイトヘッドが教会の活動を通して培った人的なネットワークを駆使して、飲料媒介説を支持する説得的な証拠を集めることに成功しました。
直接の証拠が無い中、状況証拠を丹念に積み上げていくことで、瘴気説に凝り固まった医学会を動かしたスノーとホワイトヘッドの調査はまさに執念のなせる技と言えます。彼らの成果はコレラと言う特定の病気に関することに留まらず、公衆衛生と言う概念の発達でもありました。都市に人が集中して済み始めたのが19世紀の後半からですが、その後も人口の都市への集中は一行に留まるところを知りません。コレラの流行した1850年頃のロンドンでは余りの人口過密ぶりに、都市生活はもはや維持不可能になるのではないかと考えられていたそうです。これだけ人間が集中すれば、その廃棄物も膨大なものになります。無方図な投棄は出来ません。そこで公衆衛生的な考えが必要となります。そしてそれに基づいて上下水道などのインフラを整備していく必要があります。もはや勝手に人が集まって暮らすだけでは都市は維持出来ないんです。
インフラ整備などに公的な機関の果たす役割が大きくなるにつれ、一歩施策を間違うととんでもないことも起こってきたりします。コレラ流行当時のロンドンでは、医学会だけでなく政策決定に関わる人々もまた瘴気説に凝り固まった考え方をしていました。そこでは空気のよどみとその結果起こる臭気こそ一番に解決しなければならない問題と考えられました。その結果、臭気を発生させる下水のよどみを排除すべく、街の下水は何でもかんでもテムズ川に流されることになりました。テムズ川の水は飲み水にも使います。コレラにとって見れば、これは感染者の糞便から次の感染者へハイウェイが繋がったようなものです。かくしてコレラの大流行となるわけですね。
ある問題を解決しようとして、間違った施策を採用するところから被害が拡大してしまう辺りは、現在の薬害問題などと共通の側面があるような気がします。正しい対策は正しい情報から、そして正しい情報は現場から、これはいつの世の中にも基本中の基本なんですね。
人は今後も都市に住み続けるでしょう。なのでこの本に書かれてあるのはコレラにまつわる歴史物語ですが、今まさに都市で暮らす我々の生活と密接に関わる事柄なんですね。コレラの謎から都市のあるべき姿まで、いろいろと考えさせられるところの多い一冊で、大いに楽しめます。
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そういうわけで今日は最近読んだ「感染地図」と言う本を紹介します。これは19世紀にイギリスで大流行したコレラの発生源発見を巡る歴史を追ったドキュメンタリーです。
19世紀のロンドンでは人々が生活の糧を求めて街へと移り住み急速に都市化が進んでいました。しかしあまりに急速な都市化にインフラの整備が追いつかず、下水は川に垂れ流しの最悪の衛生状態でした。そんなロンドンではたびたびコレラの流行に見舞われていました。そして1854年8月、ブロードストリートで大流行が発生します。
コレラがコレラ菌の感染によって引き起こされ、感染者の糞便を介して飲料水から伝搬すると言うことは今でこそ常識ですが、19世紀の時点ではコレラ菌も未発見で、公衆衛生学はまだ産声を上げたばかりの状態です。次々とブロードストリートの人々が病に倒れる中、コレラ菌の発見に先立つこと30年、流行地で働く医師スノーと、教会副牧師のホワイトヘッドの努力によりついに感染経路が明らかとなります。
当時の医学会では病気の原因として空気が重要とする瘴気説が有力でした。淀んだ空気こそ病気の原因と言う訳ですね。スノー医師は以前から感染者の分布から考えて、コレラは飲料水で媒介されるとする飲料水媒介説を唱えていましたが、瘴気説の支持は強固で学会の大勢を占めるには至っていませんでした。1854年の大流行の際に彼は感染者一人一人を丹念に調べ、感染者が特定の井戸から水を汲んでいたことを突き止めます。この時、調査に協力したのが教区副牧師のホワイトヘッドです。彼は地元の副牧師と言う立場を生かした情報網で、スノーの調査を補完していきます。そして遂に今回の大流行の原因となった最初の感染者を特定することに成功します。そこで井戸水が糞便で汚染されている証拠を発見するに及び、最終的に飲料水媒介説を医学会に承認させることになります。
飲料水媒介説を唱える時に最大の障害になるのが直接の証拠を上げられないことです。顕微鏡はあったもののコレラ菌は未だ発見されていない時代なので、水が汚染源である直接の証拠を示すには、汚染された水を飲ませた人はコレラを発症し、飲ませなかった人は発症しないことを確認する必要があります。しかし人体実験をやるわけにはいかないので、感染者の飲水行動を丹念に追っていくしかありません。ここでスノーとホワイトヘッドが流行中心地の地元民だったことが強みとなります。
当時、医師の多くはコレラ流行地に実際に赴くことはほとんどありません。彼らは多く上流階級の人間であるのに対して、コレラは社会的に下層の人々が多く済む衛生状態の悪い地域で流行することが多いからです。スノーは父親を職人に持つ元々からの地元民なので、1854年には流行のまさに中心地で調査活動を行うことが出来ました。更にホワイトヘッドが教会の活動を通して培った人的なネットワークを駆使して、飲料媒介説を支持する説得的な証拠を集めることに成功しました。
直接の証拠が無い中、状況証拠を丹念に積み上げていくことで、瘴気説に凝り固まった医学会を動かしたスノーとホワイトヘッドの調査はまさに執念のなせる技と言えます。彼らの成果はコレラと言う特定の病気に関することに留まらず、公衆衛生と言う概念の発達でもありました。都市に人が集中して済み始めたのが19世紀の後半からですが、その後も人口の都市への集中は一行に留まるところを知りません。コレラの流行した1850年頃のロンドンでは余りの人口過密ぶりに、都市生活はもはや維持不可能になるのではないかと考えられていたそうです。これだけ人間が集中すれば、その廃棄物も膨大なものになります。無方図な投棄は出来ません。そこで公衆衛生的な考えが必要となります。そしてそれに基づいて上下水道などのインフラを整備していく必要があります。もはや勝手に人が集まって暮らすだけでは都市は維持出来ないんです。
インフラ整備などに公的な機関の果たす役割が大きくなるにつれ、一歩施策を間違うととんでもないことも起こってきたりします。コレラ流行当時のロンドンでは、医学会だけでなく政策決定に関わる人々もまた瘴気説に凝り固まった考え方をしていました。そこでは空気のよどみとその結果起こる臭気こそ一番に解決しなければならない問題と考えられました。その結果、臭気を発生させる下水のよどみを排除すべく、街の下水は何でもかんでもテムズ川に流されることになりました。テムズ川の水は飲み水にも使います。コレラにとって見れば、これは感染者の糞便から次の感染者へハイウェイが繋がったようなものです。かくしてコレラの大流行となるわけですね。
ある問題を解決しようとして、間違った施策を採用するところから被害が拡大してしまう辺りは、現在の薬害問題などと共通の側面があるような気がします。正しい対策は正しい情報から、そして正しい情報は現場から、これはいつの世の中にも基本中の基本なんですね。
人は今後も都市に住み続けるでしょう。なのでこの本に書かれてあるのはコレラにまつわる歴史物語ですが、今まさに都市で暮らす我々の生活と密接に関わる事柄なんですね。コレラの謎から都市のあるべき姿まで、いろいろと考えさせられるところの多い一冊で、大いに楽しめます。
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出張は正直疲れますが、移動の間に本を読む時間が出来るのが良いところです。今回の出張中に「まぐれ」と言う本を読みました。この本の著者はトレーダー兼大学教授と言う変わった肩書きの人です。日々のトレーダーとしての、そして不確実性を扱う数学者として活動を通じて人々が如何にランダムな事象に翻弄されるかについて考えたことを綴ったエッセーになります。
表題は「まぐれ」ですが、「投資家はなぜ運を実力と勘違いするのか」と言う副題がついています。株はランダムに上がったり下がったりしています。トレーダーはなんとか株の上り下がりを予想しようとしますが、不確実性の高い事象を相手にしているので偶然の作用がより強く効果を発揮します。運が良くてたまたま大当たり、巨額の報酬を手にしたりするわけです。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるということで、これだけ多くの人が株の売買に携わっていれば、まぐれで大当たりする人もそれなりの数出てきます。100発中1発当たっただけなら誰でもまぐれと思うでしょう。でもたまたま当たった一発を撃つところしか見ていなかったらどうでしょう。残り99発のハズレはそもそも無かったことになってしまうとしたら。撃った人の腕がすごいと思うんじゃないでしょうか。株のトレーダーにも同じようなことが起こります。世の人々が注目するのは成功したトレーダーだけです。成功するからにはそれなりの理由があるはずだと考えるのが普通ですがさにあらず、ハズレの多さが見えてないだけなんですね。実はまぐれ以外の何ものでもないと言う訳です。
人の頭はそもそもランダムな事象を扱うのに慣れていません。Aと言う出来事の後にBと言う出来事が起こると、Bの原因はAと考える癖が人間の脳にはあります。なのでたまたまの大当たりでも自分の判断が正しかったおかげと考えたりしがちなんですね。
それに人の脳は具体的な出来事を考えるように出来ているので、抽象的な概念を考えるのが実は苦手だったりします。。世界中のどこかで何らかの大災害が起こる確率よりも、ニューヨークでテロが起こる確率を高く見積もったりしてしまうんですね。なので抽象的な危険に保険をかけることには抵抗を感じます。
成功すれば自分のおかげとほくそ笑み、失敗すればたまたま運が悪かっただけとうそぶく、人間の考えることはかくのごときバイアスかかりまくりで、このバイアスのために確率にまつわる悲喜こもごもが生まれるわけです。著者は実体験で得た豊富な例を挙げて確率にまつわる思い違いを鋭く突っ込み、おもしろおかしく説明してくれます。
バイアスは困ったものではありますが、反面それが必要な場合もあります。そもそも成功は自分のおかげ、失敗は運の所為と考える方が精神衛生には良さそうです。著者は実際に相場のランダム性に翻弄されるトレーダーであり、一方でそのようなランダム性を研究対象とする科学者でもあると言う変わった立場にあります。そのおかげで本書の記述は辛辣なのにどことなくユーモラスな味があります。単なるトレーディング業界暴露話や、他人の無知をあげつらうだけの内容に留まらず、確率に弱いと言う人の性質を一歩引いた目で眺める視点が本書の魅力だと思います。
人はいろいろな思い違いをしたり偏った考えをしたりと、認識機構に弱点を抱えていますが、その弱点を知っていることこそ重要だと言うことを教えてくれる一冊です。
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表題は「まぐれ」ですが、「投資家はなぜ運を実力と勘違いするのか」と言う副題がついています。株はランダムに上がったり下がったりしています。トレーダーはなんとか株の上り下がりを予想しようとしますが、不確実性の高い事象を相手にしているので偶然の作用がより強く効果を発揮します。運が良くてたまたま大当たり、巨額の報酬を手にしたりするわけです。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるということで、これだけ多くの人が株の売買に携わっていれば、まぐれで大当たりする人もそれなりの数出てきます。100発中1発当たっただけなら誰でもまぐれと思うでしょう。でもたまたま当たった一発を撃つところしか見ていなかったらどうでしょう。残り99発のハズレはそもそも無かったことになってしまうとしたら。撃った人の腕がすごいと思うんじゃないでしょうか。株のトレーダーにも同じようなことが起こります。世の人々が注目するのは成功したトレーダーだけです。成功するからにはそれなりの理由があるはずだと考えるのが普通ですがさにあらず、ハズレの多さが見えてないだけなんですね。実はまぐれ以外の何ものでもないと言う訳です。
人の頭はそもそもランダムな事象を扱うのに慣れていません。Aと言う出来事の後にBと言う出来事が起こると、Bの原因はAと考える癖が人間の脳にはあります。なのでたまたまの大当たりでも自分の判断が正しかったおかげと考えたりしがちなんですね。
それに人の脳は具体的な出来事を考えるように出来ているので、抽象的な概念を考えるのが実は苦手だったりします。。世界中のどこかで何らかの大災害が起こる確率よりも、ニューヨークでテロが起こる確率を高く見積もったりしてしまうんですね。なので抽象的な危険に保険をかけることには抵抗を感じます。
成功すれば自分のおかげとほくそ笑み、失敗すればたまたま運が悪かっただけとうそぶく、人間の考えることはかくのごときバイアスかかりまくりで、このバイアスのために確率にまつわる悲喜こもごもが生まれるわけです。著者は実体験で得た豊富な例を挙げて確率にまつわる思い違いを鋭く突っ込み、おもしろおかしく説明してくれます。
バイアスは困ったものではありますが、反面それが必要な場合もあります。そもそも成功は自分のおかげ、失敗は運の所為と考える方が精神衛生には良さそうです。著者は実際に相場のランダム性に翻弄されるトレーダーであり、一方でそのようなランダム性を研究対象とする科学者でもあると言う変わった立場にあります。そのおかげで本書の記述は辛辣なのにどことなくユーモラスな味があります。単なるトレーディング業界暴露話や、他人の無知をあげつらうだけの内容に留まらず、確率に弱いと言う人の性質を一歩引いた目で眺める視点が本書の魅力だと思います。
人はいろいろな思い違いをしたり偏った考えをしたりと、認識機構に弱点を抱えていますが、その弱点を知っていることこそ重要だと言うことを教えてくれる一冊です。
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今日は久しぶりに本の紹介です。今日紹介するのは「非行少年の消滅ー個性神話と少年犯罪」と言う本です。この本は少年犯罪を扱った本ですが、個々の事件を取り上げるものではありません。豊富な統計的資料から、少年犯罪の現状を分析し、ひいては少年犯罪の変化から垣間見える現代社会の有り様を分析しようと言うものです。
最近、少年犯罪は凶悪化したと良く言われて、そんなものかと思っていましたが、本書では実は少年犯罪は凶悪化などしていないことを明らかにしていきます。確かに少年犯罪は質的に変化してきています。一昔前まで少年が犯罪を犯す場合、家庭環境が劣悪だったり経済的に困窮していたりと、解り易い原因がそこにはありました。そういう境遇の少年のうちあるものは非行グループへ入ります。非行グループ内では窃盗や恐喝など犯罪のノウハウを蓄積した非行サブカルチャーが存在します。そういう犯罪に接触する機会が増えることによって罪の意識は徐々に麻痺していき、窃盗などの軽微な犯罪を繰り返すうち、強盗や殺人などの重大犯罪を起こすと言うお決まりの転落コースが存在しました。
ところが最近の少年犯罪では、いわゆる進学校に通う普通の家庭の少年が、さしたる理由も無く猟奇的な殺人事件を起こしたりするのが特徴です。転落コースなど今まで少年犯罪にみられた通説は全く通用しません。このような不可解な少年犯罪が増えてきています。不可解なものを不可解なままにしておくのは据わりの悪いもので、そこで少年犯罪が凶悪化した、対策をなんとかしろと言う声が上がってきたと言う訳ですね。
少年犯罪の質が変わってきたのは実は社会の方が変わってきたことを反映しています。戦前から戦後の拡張を続ける前期近代から、社会の成長が飽和点を迎えた後期近代へと時代が移り変わっていくに従って、少年犯罪の質が変化してきたという訳です。社会の拡張が充分に進むと、個人が社会から試薬を受けることがほとんど亡くなります。こうなると社会は個人にとって不可視化してしまい、リアリティを感じられなくなってしまいます。その結果、社会運動は衰退し代わって自己責任論が高まります。
少年犯罪は社会が少年の育成に失敗した結果起こるものであり、非行少年もまたその犠牲者であると言う考えはもはや受け入れられず、少年か成人かを問わず犯罪者は罪を犯した個人のパーソナリティーに問題があると言う考え方が強くなってきています。時を同じくして学校教育の現場では、個性を伸ばす教育と称して、個人の内面を評価する試みが広がってきました。そこでは個性というものが持って生まれた変更不可能な実体として捉えられています。強迫症的に個性的であることを求められるあまり、犯罪者の個性でさえ他人と違っていると言う一点で輝けるものと思われたりするのが、今の社会というわけなんですね。そりゃ不可解な犯罪も起こるというものです。
少年犯罪の凶悪化と言う通説を統計資料を丁寧に解析して突き崩していくところは、とても説得的だと感じました。正しい対策は現状の正しい分析から、ということで、なんとなくの印象だけでものを考える危うさを痛感させられる一冊です。
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最近、少年犯罪は凶悪化したと良く言われて、そんなものかと思っていましたが、本書では実は少年犯罪は凶悪化などしていないことを明らかにしていきます。確かに少年犯罪は質的に変化してきています。一昔前まで少年が犯罪を犯す場合、家庭環境が劣悪だったり経済的に困窮していたりと、解り易い原因がそこにはありました。そういう境遇の少年のうちあるものは非行グループへ入ります。非行グループ内では窃盗や恐喝など犯罪のノウハウを蓄積した非行サブカルチャーが存在します。そういう犯罪に接触する機会が増えることによって罪の意識は徐々に麻痺していき、窃盗などの軽微な犯罪を繰り返すうち、強盗や殺人などの重大犯罪を起こすと言うお決まりの転落コースが存在しました。
ところが最近の少年犯罪では、いわゆる進学校に通う普通の家庭の少年が、さしたる理由も無く猟奇的な殺人事件を起こしたりするのが特徴です。転落コースなど今まで少年犯罪にみられた通説は全く通用しません。このような不可解な少年犯罪が増えてきています。不可解なものを不可解なままにしておくのは据わりの悪いもので、そこで少年犯罪が凶悪化した、対策をなんとかしろと言う声が上がってきたと言う訳ですね。
少年犯罪の質が変わってきたのは実は社会の方が変わってきたことを反映しています。戦前から戦後の拡張を続ける前期近代から、社会の成長が飽和点を迎えた後期近代へと時代が移り変わっていくに従って、少年犯罪の質が変化してきたという訳です。社会の拡張が充分に進むと、個人が社会から試薬を受けることがほとんど亡くなります。こうなると社会は個人にとって不可視化してしまい、リアリティを感じられなくなってしまいます。その結果、社会運動は衰退し代わって自己責任論が高まります。
少年犯罪は社会が少年の育成に失敗した結果起こるものであり、非行少年もまたその犠牲者であると言う考えはもはや受け入れられず、少年か成人かを問わず犯罪者は罪を犯した個人のパーソナリティーに問題があると言う考え方が強くなってきています。時を同じくして学校教育の現場では、個性を伸ばす教育と称して、個人の内面を評価する試みが広がってきました。そこでは個性というものが持って生まれた変更不可能な実体として捉えられています。強迫症的に個性的であることを求められるあまり、犯罪者の個性でさえ他人と違っていると言う一点で輝けるものと思われたりするのが、今の社会というわけなんですね。そりゃ不可解な犯罪も起こるというものです。
少年犯罪の凶悪化と言う通説を統計資料を丁寧に解析して突き崩していくところは、とても説得的だと感じました。正しい対策は現状の正しい分析から、ということで、なんとなくの印象だけでものを考える危うさを痛感させられる一冊です。
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今日で連休も終わりですが、休みの間もこれと言ってすることが無かったので、本を読む時間がたっぷりありました。少し難しい本でも読んでみようということで、「ヒトは食べられて進化した「と言う本を読みました。
ヒトは猿と共通の祖先から進化してきた動物というのは多くの研究者が認めるコンセンサスですが、現在のホモサピエンスにたどり着くまでのいきさつについては諸説紛々、未だに解らないこともたくさんあります。いろんな仮説のある中で、人気の高いのが”狩るヒト”仮説と言うものです。
この説は数ある猿の仲間の内、ヒトとチンパンジーのみが狩りをすることから、ヒトに特徴的な性質は狩猟をするのに適して進化したというものです。例えば道具を巧みに使ったり、仲間と会話によってコミュニケーションを取ったりするのは、狩猟をするのに都合が良いという訳ですね。
著者らはこの狩るヒト仮説に真っ向から対立する”狩られるヒト”仮説を提唱します。ヒト科のサルはライオンやヒョウ、ハイエナ、熊や果ては大蛇まで、ありとあらゆる肉食動物の美味しい食料にすぎず、彼ら肉食獣から逃れるためにヒトに特徴的な性質は進化したものだと解きます。
著者は初期のヒト科サルと肉食獣との関係を一つは化石記録から、もう一つは類人猿や近縁の猿の仲間の行動から推測していきます。証拠を丁寧に吟味していくと、狩られるヒトの方が圧倒的に支持されると著者らは推測しています。
なにぶん議論の焦点になっているのは人類の進化と言う過ぎ去った出来事についてのことなので、確定的な証拠がある訳ではありません。状況証拠を積み重ねることによってより確からしい推測へたどり着くしかありません。なので”狩るヒト”と”狩られるヒト”、どちらがより確からしいのかについては、実際に本文を読んでもらって読者に直に感じてもらうしかないですね。僕は著者らの狩られるヒトの主張が確からしいと感じました。
より確からしい狩られるヒト仮説より狩るヒト仮説が広まったのは、一つはサルの仲間は牛の仲間などの草食動物に比べると、肉食獣に食べられる割合が低いと考えられていたことがあります。しかしこれは観察が不十分なための思い込みにすぎず、丹念に調べれば猿の仲間と言えども、普通の草食動物と同じくらいの割合で、肉食獣の餌食になるんだとか。牛の仲間はいかにも餌食然としていますからねえ。それに比べればサルの仲間は食べられる確率も低いような気がしますが、実際は大して変わらないんですね。思い込みというのは怖いもんです。
狩るヒト仮説vs狩られるヒト論争は純粋に人類進化の科学的問題の範疇ですが、狩るヒト仮説が一つ問題なのは社会進化的な観点から語られ易いということだそうです。ヒトの行う残虐行為、戦争や殺人、暴行などは狩猟をするのに適しているため自然淘汰によって進化した形質であり、段々エスカレートしてきたとする言説がうまれ易いんですね。しかしヒトの行動の多くは後天的に学習によって獲得されたものがほとんどで、生まれながらに遺伝子に組み込まれているというのはどうやら眉唾なことが多いようです。自らの行いを正当化してくれる言説にはとかく飛びつき易いものですが、安易な正当化に対しては特に慎重でなければならないということですね。
前半のいろんな肉食獣に初期ヒト科サルが如何に食べられるかと言う描写は痛々しくもなかなか面白く読めます。肉食獣の餌なんて悲しくはありますがそれもまた現実ということで、ヒトの持つ新たな一面をかいま見せてくれる一冊です。
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ヒトは猿と共通の祖先から進化してきた動物というのは多くの研究者が認めるコンセンサスですが、現在のホモサピエンスにたどり着くまでのいきさつについては諸説紛々、未だに解らないこともたくさんあります。いろんな仮説のある中で、人気の高いのが”狩るヒト”仮説と言うものです。
この説は数ある猿の仲間の内、ヒトとチンパンジーのみが狩りをすることから、ヒトに特徴的な性質は狩猟をするのに適して進化したというものです。例えば道具を巧みに使ったり、仲間と会話によってコミュニケーションを取ったりするのは、狩猟をするのに都合が良いという訳ですね。
著者らはこの狩るヒト仮説に真っ向から対立する”狩られるヒト”仮説を提唱します。ヒト科のサルはライオンやヒョウ、ハイエナ、熊や果ては大蛇まで、ありとあらゆる肉食動物の美味しい食料にすぎず、彼ら肉食獣から逃れるためにヒトに特徴的な性質は進化したものだと解きます。
著者は初期のヒト科サルと肉食獣との関係を一つは化石記録から、もう一つは類人猿や近縁の猿の仲間の行動から推測していきます。証拠を丁寧に吟味していくと、狩られるヒトの方が圧倒的に支持されると著者らは推測しています。
なにぶん議論の焦点になっているのは人類の進化と言う過ぎ去った出来事についてのことなので、確定的な証拠がある訳ではありません。状況証拠を積み重ねることによってより確からしい推測へたどり着くしかありません。なので”狩るヒト”と”狩られるヒト”、どちらがより確からしいのかについては、実際に本文を読んでもらって読者に直に感じてもらうしかないですね。僕は著者らの狩られるヒトの主張が確からしいと感じました。
より確からしい狩られるヒト仮説より狩るヒト仮説が広まったのは、一つはサルの仲間は牛の仲間などの草食動物に比べると、肉食獣に食べられる割合が低いと考えられていたことがあります。しかしこれは観察が不十分なための思い込みにすぎず、丹念に調べれば猿の仲間と言えども、普通の草食動物と同じくらいの割合で、肉食獣の餌食になるんだとか。牛の仲間はいかにも餌食然としていますからねえ。それに比べればサルの仲間は食べられる確率も低いような気がしますが、実際は大して変わらないんですね。思い込みというのは怖いもんです。
狩るヒト仮説vs狩られるヒト論争は純粋に人類進化の科学的問題の範疇ですが、狩るヒト仮説が一つ問題なのは社会進化的な観点から語られ易いということだそうです。ヒトの行う残虐行為、戦争や殺人、暴行などは狩猟をするのに適しているため自然淘汰によって進化した形質であり、段々エスカレートしてきたとする言説がうまれ易いんですね。しかしヒトの行動の多くは後天的に学習によって獲得されたものがほとんどで、生まれながらに遺伝子に組み込まれているというのはどうやら眉唾なことが多いようです。自らの行いを正当化してくれる言説にはとかく飛びつき易いものですが、安易な正当化に対しては特に慎重でなければならないということですね。
前半のいろんな肉食獣に初期ヒト科サルが如何に食べられるかと言う描写は痛々しくもなかなか面白く読めます。肉食獣の餌なんて悲しくはありますがそれもまた現実ということで、ヒトの持つ新たな一面をかいま見せてくれる一冊です。
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今日は久しぶりに本の紹介です。今日紹介するのは「迷惑な進化」と言う本です。著者の一人であるシャロンモアレムさんは現役の進化医学の研究者だそうです。進化医学とは何やら聞き慣れない医学ですが、進化論的な観点から病気を理解しようとする学問だそうです。
本書はヘモクロマトーシスと言う難しげな名前の病気についての話から始まります。ヘモクロマトーシスと言うのは過剰な鉄分が臓器に蓄積する病気だそうで、最終的には肝不全や腎不全、アルツハイマー病など引き起こす厄介な病気です。ところがこのヘモクロマトーシスを引き起こす遺伝子は西ヨーロッパ人の間では30%と言う高い割合で保有されているそうです。ダーウィンの自然選択説に従えば、病気を引き起こす遺伝子を持つ人は子孫を残す可能性が下がるため、そのような遺伝子は集団中に残りにくいと言うことになります。ヘモクロマトーシスの遺伝子がこれだけ高い頻度で存在すると言うことは、この遺伝子は病気を起こすデメリットを上回るメリットをもたらしている可能性があると言うことが考えられる訳です。
病気の遺伝子にメリットがあるなんてどういうことでしょう。実はヘモクロマトーシスの人はペスト菌に対して抵抗性を持っているそうです。ヘモクロマトーシスの人は臓器に鉄分が蓄積しますが、マクロファージと言う細胞は例外で、逆に鉄の量が下がるんだとか。マクロファージと言う細胞は体内に侵入した細菌をアメーバのように食べて処理する細胞です。鉄は人体に必要不可欠な栄養素ですが、それは細菌にとっても同じこと。マクロファージ内に鉄が大量にあると、食べられた細菌が元気になって繁殖してしまうそうです。その昔ペストが何度かヨーロッパで大流行する間に、ヘモクロマトーシスの遺伝子はペストに対する抵抗性のため人々の間に広がっていったと言うことですね。このように人と病気の織りなす物語を進化と言う視点で読み解いていくのが進化医学と言うことになります。
進化医学で面白いのは、進化が非常に行き当たりばったりだというところです。進化の結果でき上がった生物は先を見越して設計している訳ではありません。今現在の環境に適応したものがたまたま生き残っていくだけです。なので、今は病気として認識されている状態も、環境次第で有利になる可能性があると言うことになります。例えば糖尿病を引き起こしやすい遺伝子のセットがあるそうです。飽食の現代でこそ厄介者と考えられるこの遺伝子たちですが、食料の乏しかった氷河期では、エネルギー節約型の体質をもたらすメリットを持っていたと考えられます。やれメタボだなんだと大騒ぎの昨今、お腹回りを恨めしく思っている人がいるかも知れません。しかしあなたのその体、いったん食料危機に陥れば少ない食料から効率よく脂肪を蓄えて、あなたの命を救ってくれるかも知れませんよ。
病気と言うと、とにかくネガティブな意味しか持たないような気がしますが、実は何事にもメリットとデメリットがあります。環境が変わればメリットとデメリットが逆転することだって起こります。ただただ病気を無くすことが人類の幸せと短絡して、病気の根絶のみに邁進すると思わぬところでしっぺ返しを食ったりするかも知れません。本書で取り上げられている細菌に対する抗生剤の使用もその例ですね。進化医学からいろんなことが見えてくるものです。
本書ではヘモクロマトーシスの話から始まって、糖尿病やソラマメ中毒の話、果てはお産や老化現象など、医学に関する幅広い話題が取り上げられています。どれも興味深い内容で飽きずに読み進めることが出来ます。文章は普通の語り口のように簡明で、難しい専門知識などなくてもスイスイ読めますよ。病気の見方が一変するかもな一冊です。
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本書はヘモクロマトーシスと言う難しげな名前の病気についての話から始まります。ヘモクロマトーシスと言うのは過剰な鉄分が臓器に蓄積する病気だそうで、最終的には肝不全や腎不全、アルツハイマー病など引き起こす厄介な病気です。ところがこのヘモクロマトーシスを引き起こす遺伝子は西ヨーロッパ人の間では30%と言う高い割合で保有されているそうです。ダーウィンの自然選択説に従えば、病気を引き起こす遺伝子を持つ人は子孫を残す可能性が下がるため、そのような遺伝子は集団中に残りにくいと言うことになります。ヘモクロマトーシスの遺伝子がこれだけ高い頻度で存在すると言うことは、この遺伝子は病気を起こすデメリットを上回るメリットをもたらしている可能性があると言うことが考えられる訳です。
病気の遺伝子にメリットがあるなんてどういうことでしょう。実はヘモクロマトーシスの人はペスト菌に対して抵抗性を持っているそうです。ヘモクロマトーシスの人は臓器に鉄分が蓄積しますが、マクロファージと言う細胞は例外で、逆に鉄の量が下がるんだとか。マクロファージと言う細胞は体内に侵入した細菌をアメーバのように食べて処理する細胞です。鉄は人体に必要不可欠な栄養素ですが、それは細菌にとっても同じこと。マクロファージ内に鉄が大量にあると、食べられた細菌が元気になって繁殖してしまうそうです。その昔ペストが何度かヨーロッパで大流行する間に、ヘモクロマトーシスの遺伝子はペストに対する抵抗性のため人々の間に広がっていったと言うことですね。このように人と病気の織りなす物語を進化と言う視点で読み解いていくのが進化医学と言うことになります。
進化医学で面白いのは、進化が非常に行き当たりばったりだというところです。進化の結果でき上がった生物は先を見越して設計している訳ではありません。今現在の環境に適応したものがたまたま生き残っていくだけです。なので、今は病気として認識されている状態も、環境次第で有利になる可能性があると言うことになります。例えば糖尿病を引き起こしやすい遺伝子のセットがあるそうです。飽食の現代でこそ厄介者と考えられるこの遺伝子たちですが、食料の乏しかった氷河期では、エネルギー節約型の体質をもたらすメリットを持っていたと考えられます。やれメタボだなんだと大騒ぎの昨今、お腹回りを恨めしく思っている人がいるかも知れません。しかしあなたのその体、いったん食料危機に陥れば少ない食料から効率よく脂肪を蓄えて、あなたの命を救ってくれるかも知れませんよ。
病気と言うと、とにかくネガティブな意味しか持たないような気がしますが、実は何事にもメリットとデメリットがあります。環境が変わればメリットとデメリットが逆転することだって起こります。ただただ病気を無くすことが人類の幸せと短絡して、病気の根絶のみに邁進すると思わぬところでしっぺ返しを食ったりするかも知れません。本書で取り上げられている細菌に対する抗生剤の使用もその例ですね。進化医学からいろんなことが見えてくるものです。
本書ではヘモクロマトーシスの話から始まって、糖尿病やソラマメ中毒の話、果てはお産や老化現象など、医学に関する幅広い話題が取り上げられています。どれも興味深い内容で飽きずに読み進めることが出来ます。文章は普通の語り口のように簡明で、難しい専門知識などなくてもスイスイ読めますよ。病気の見方が一変するかもな一冊です。
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